アメリカ・サンフランシスコで3人の従業員が設計事務所を開設したことから、その歴史が始まった『ゲンスラー アンド アソシエイツ インターナショナル リミテッド』。今や世界各地に拠点を置き、ワークプレイスを中心に商業施設、ホスピタリティ施設、文化・教養施設、空港、都市開発に至るまで非常に多岐に渡る施設の設計・デザインを手掛けている。更にはインテリアデザインやクライアントに対するブランディング支援、コンサルティング事業なども展開し、その事業領域はもはや設計事務所という枠組みを超え、「ゲンスラー」という固有のサービスブランドを確立しているとさえ言える。そんな同社は世界46カ所(2015年現在)に拠点を持ち、日本の拠点を東京都港区・南青山に設けている訳だが、ワークプレイスデザインのプロフェッショナルである同社の東京オフィスは、どのような哲学に基づいて仕上げられた空間なのだろうか。東京オフィスのプリンシパルで、デザインディレクターでもある天野大地氏に、現在のオフィス環境についてお話を伺った。
なぜオフィス環境へ投資したのか
南青山にある今の東京オフィスは2010年の移転によって誕生した。当初はビルの2階だけだったが、その後ビジネスの拡大などに伴い、現在は5階にもオフィスを広げている。このオフィスは「ラボ」というコンセプトに沿って、2階と5階の各フロアがまったく異なったデザインのワークプレイスに仕上がっているという。そこにはどのような狙いがあるのか。
天野氏:ゲンスラーはサンフランシスコに本社を置くデザイン設計事務所で、1965年に創業し2015年で創立50周年を迎えます。ワークプレイスのデザインを中心に世界的に事業を展開していまして、当社が手掛ける案件のうち約60%がワークプレイス関連で、他にもリテール分野など多彩な施設のデザイン・設計を担当しています。東京オフィスは1992年に開設され、今は約70名(2015年現在)のスタッフが在籍し30名ほどがワークプレイスを担当、同じく30名ほどが「ライフスタイルセクター」と言いまして、リテールやホテルなどに関するプロジェクトを進めています。この南青山のオフィスには2010年に移転してきました。それ以前は永田町に拠点を置いていたのですが、人員の拡大もありテナントのリースが切れるタイミングでオフィスを移転する計画が持ち上がりました。今のオフィスはスタッフ全員でブレインストーミングを重ね、どういったオフィスがいいのかを模索しながら作り上げたものです。当初は2階のフロアだけでしたが、2014年に5階にもオフィスを拡張しました。ワークプレイスのデザイン・設計を手掛ける上で、お客様に対して提案するアイデアをまずは自分たちでトライしてみようというスタンスから、今のオフィスには「東京オフィスラボ」という意味合いを持たせています。
私たちの仕事で最も重要なことは、お客様とどう共感するかという点です。例えばリテール分野でデパートのプロジェクトを進める場合、ファッションに関する理解がないとデザインに説得力が生まれず信頼もしていただけません。当社はデザインにとどまらず、クライアントのブランディングに関する提案もしています。多様なニーズを持つお客様にこのオフィスを見てもらうことで、当社の提案の幅といった部分が伝わる空間を目指しました。ただ、お招きしたお客様がオフィスに滞在される時間は1~2時間程です。その僅かな時間だけですべては伝わりません。お客様と信頼関係を築き、その上でクライアントに寄り添った提案をする。当社はそのようなサービスを提供する会社なのだということを、スタッフ全員がしっかりと理解しなければいけません。それもまた大切なことになります。
オフィス環境変革後の変化や反響
5階にもオフィスが拡張されたことで、“体験型のオフィス”という新たな要素が付加されたゲンスラーの東京オフィス。加えて、今のオフィス環境に移行してからクライアントに対する社内の見せ方なども変化したという。フロア間のデザイン性の違いから、今のオフィスは同社の提案の多様性を内外に発信するという新たな役割も担う。
天野氏:ワークプレイスの考え方として、「アクティビティー・ベース・ワークプレイス」という概念があります。アクティビティー・ベースとは、集中したい時は落ち着いた場所で、コラボレーションしたい時は人が集まっている場所でなど、自分で場所を選んで働きましょうというもので、今では大分主流になってきている考え方ですね。2階のフロアはその考え方に基づいたワークプレイスになっていまして、デザイン事務所では珍しいかもしれませんがこの場所はモビリティなスペースになっています。グループアドレスでチームごとのゾーンがあり、その中でなら誰がどこに座ってもいい、そして人がどんどん動いていくようなオフィスフロアです。その後、ビジネスの拡大に伴い組織も大きくなり、5階にもフロアを拡張することになりました。その5階をデザインする際、アクティビティー・ベースの考えとはまた異なる、「エクスペリエンス・ベース・ワークプレイス」という概念を導入しました。“体験”という要素に着目し、環境によって働く人間の気持ちや感情がどのように変化するのか、スタッフが実体験を通して理解できるようなワークプレイスを目指しました。そのため、5階は2階とはあえて異なるデザインにしています。両方の異なる空間を私たち自身で体験することで、そこからどんなクリエイティブで新しいものを提案できるか。そのようなコンセプトで作り上げました。2階はどちらかというとゲンスラーのスタンダードなワークプレイスに近いものです。世界各地のゲンスラーのワークプレイスもホワイトをベースとしたナチュラルで快適性を重視した空間となっています。2階は明治神宮外苑のイチョウ並木との繋がりもデザイン的に意識していまして、大型の窓を通してイチョウ並木のストリートがそのままオフィスに繋がっているような意匠になっています。はじめに2階にオフィスを構えたのも、通りを行き交う人たちが見える場所で、その息吹を感じたいといった理由もありました。ただ2階に関してはあくまでゲンスラーの考え方に基づいた空間です。それだけではなく、クリエイティブな要素も取り入れて新しいことにもトライしていきましょうという考えが5階のコンセプトです。そのため5階はブラックを基調とし、2階と比べるとよりフリーでオープンな仕様になっています。
東京はクライアントの幅が非常に広いマーケットです。そのためどんな分野のお客様であっても、当社にデザインを任せたいと思っていただけるようなオフィス環境を用意しておく必要があります。例えば、知識産業やファイナンシャル系のお客様に対しては、まず2階のフロアからご案内します。こちらは落ち着いた雰囲気で信頼感を感じてもらえるような空間になっていますので、そういったワークプレイスを希望されているお客様には、ここのフロアからイメージを膨らませていただくことができます。一方で、当社ではゲームカンパニーといったクライアントの案件も手掛けています。クリエイティブなアイデアを求めているお客様には、はじめに5階のフロアをご覧になっていただきます。お客様に合わせてオフィスをご案内する順番が変わってくるんですね。
日常的にアイデアの“実験”を繰り返すオフィス
フロアによってあえてデザインの指向が異なるワークプレイスを整えたゲンスラーの東京オフィス。クライアントにデザインの多様性を訴求することができるオフィスになった一方、社員にとっては新たなアイデアを試すワークプレイスになっている。こうしたトライアルを日常的に繰り返すことで、ゲンスラーの東京オフィスではクライアントに対する提案やサービスの更なる向上を図っている。
天野氏:ゲンスラーには現在トータルで約4600人(2015年現在)のスタッフが在籍していまして、世界で最も大きなデザイン事務所だと思います。ただ、あまりに規模が大きすぎて大企業の案件しかやらないのでは、という見方をされてしまうこともあります。ですが、このオフィスを見てもらうと、それは違うんですよということが伝わります。それによってお客様と共感できるケースが非常に多くなりました。ゲンスラーという会社には特定の「デザインスタイル」というものがあるわけではありません。もちろんデザインのポリシーは持っています。私たちは「デザイン・プリンシパル」と呼んでいますが、何を目指すのかという理念は確立されていて、お客様のバリューのために、価値のために何かをデザインすることが基本理念です。ただ他のデザイナーの方々のように、決まった形や固有の「デザインスタイル」があるわけではありません。そのため、このオフィスを通して当社のデザインの多様性をもっと発信できればと考えています。現在のオフィスはビルの2階と5階にありますが、将来的には更にフロアを拡張したいと考えています。各フロアをワントーンでデザインするのではなく、ラグジュアリーホテルのようなホスピタリティのある空間に仕上げたり、スタジオやレストランのようなフロアを用意したり。その中をスタッフが自由に行き来をしながら働くことも楽しいかなと思っています。
そのようにオフィスで“実験”を繰り返すことで、クライアントに対するサービスの向上にも繋がります。そういった経験なしにはお客様にデザインやコンセプトを提案できない時代になってきていると感じています。今はデザインに関する情報がたくさん溢れていますが、デザインの本質はやはり“人に使ってもらえること”だと思います。ワークプレイスやリテールのデザインというものは、ビジュアルの要素だけではなく、その空間を活用するユーザーのことを考えて機能面にまでしっかりと踏み込んで作り上げる必要があります。そうしたアイデアは頭の中で考えるだけではなく、自分たちで実際に体験してみないと提案できないですよね。やってみることで、場合によっては不満を訴えるスタッフが出てくるかもしれません。ですが、そこから課題や問題点を洗い出すことができます。そういった検証を皆で楽しんでやれたらと思います。何事も楽しんで取り組んだ方が得ですよね(笑)。今後はオペレーションという部分も鍵になり、それによってワークプレイスの価値も変わってくるようになるでしょう。これまでになかったワークプレイスのデザイン、またその使い方をこの東京オフィスで探究していきたいと考えています。この東京オフィスのトライが波及し、各地のゲンスラーのオフィスでも同様の取り組みが広がっています。規模は大きいですがゲンスラーはフレキシブルな組織で、良いと思ったものは積極的に取り入れてみる文化が浸透しています。ニューヨークの場合、オフィスがロックフェラーセンター内にあるのですが、その中で実験を始めたりしていて。それもまた面白いと感じますね。
世界中で協力し合うゲンスラーのチームワーク
ワールドワイドに事業を展開しているゲンスラーだが、各地の拠点と常にコミュニケーションを図り、“One-firm Firm”(「一つの会社」としての会社)という理念の下、一体的な組織を形成している。普段から社員同士の情報交換を活発に行っているほか、地理的な制約を越えてプロジェクトチームを結成することもあるという。こうした“ゲンスラー・カルチャー”が、拡大を続ける同社のビジネスの根幹を支えている。
天野氏:ゲンスラーという会社は、“ゲンスラー・カルチャー”というものを非常に大事にしています。もともとサンフランシスコで生まれた会社ですが、ある意味日本的な企業風土を持っているといいますか、ファミリー的な雰囲気があります。誰かが困っていたら助け合う文化が驚くほど浸透しています。一般的な企業は各支社、各支店内で組織の体制が完結していると思いますが、当社の場合、例えば「こんな情報がほしいです」とか、「こんなことで困っています」と全社的にメールを発信すると世界各地のオフィスから返信が戻ってきます。こうした情報交換を常に行っていますので、誰かが何か新しい試みを始めるとすぐに「これって面白いね」と広まっていきます。
スタッフ同士の交流も活発ですが、様々な案件に対しても横断的に対応しています。例えば、あるホテルのプロジェクトがあったとします。今は施設の複合化が進み、ホテルの案件を手掛けるためにはホテルデザイナーだけではできなくなりつつあります。ホテルに必要なホスピタリティの知識をはじめ、不動産の知識、レストランをデザインするための飲食関連の知識、商業施設としての知識、またホテルも働く場所でもあるのでワークプレイスの知識など、多様な専門家が必要になってきます。これらを踏まえてプロジェクトチームを編成する際に、ネットワークを介して全世界から各分野のエキスパートに参加してもらえます。そうすると中国の案件だったとしても地元の上海のスタッフはもちろん、東京、サンフランシスコ、ロンドンのスタッフが入って対応することができます。今は1人の知識だけで何かを作れるほど、簡単ではありません。テクノロジーも進化していますし、各国・各地域で文化や習慣も異なり、世代によって考え方も変わります。あらゆる要素に柔軟に対応するためには、こうしたチーミングが大切です。ゲンスラーは各オフィスの垣根を越えてワールドワイドなチームワークを形成しています。
今後取り組みたいオフィス環境づくり
ゲンスラーの一部として、東京オフィスも世界の様々な潮流を見据えている。テクノロジーの進化や、世界的なトレンドといった大きな流れを踏まえながら、今後も「オフィス」を「ラボ」として活用し、体験による裏付けを重ねながら新しいアイデアや発想をクライアントに還元していくという。デザインアプローチを取り巻く環境が変化しても、ゲンスラーが提供するサービスの本質が変わることはない。
天野氏:現在はデザインの仕方というものが、従来のものから変わってきていると思います。そのため、これまでにない新しいプロセスを模索し、新しい作り方にチャレンジすることが今の私たちに課されたミッションだと捉えています。現在ゲンスラー内で、住宅を3Dプリンターで作り上げようというプロジェクトが動いています。各パーツを作成して組み立てるのではなく、住宅を“1棟”まるまる出力するという技術です。何が言いたいのかと申しますと、こういったテクノロジーの進化により建築や空間に対する発想の仕方が変わっていく可能性があるということです。ネットワークの進化などに伴い、オフィスやホテル、カフェといったジャンルも設計思想が融合してきています。おそらくこれからは建築という領域も曖昧になり、プロダクトデザインに近い発想が求められていくのではと感じています。今後はお客様もそうしたデザインを期待されるようになるでしょう。そうなると今まで私たちが継続してきた従来の手法だけでは、きっと追いつけなくなります。東京オフィスとしても、環境面も含めてこうした変遷に対応できる組織を形成していきたいと考えています。
世界的に見ると、今ワークプレイスの動向には大きな変化が見えます。インダストリーの多様化に伴って、ワークプレイスの在り方もどんどん変化しています。東京だけを見ていると世界的な大きな流れが見えにくい部分もありますが、海外のワークプレイスをめぐる動きはドラスティックに変わってきています。個人的な感覚ですが、東京は世界的な流れから大体5年ほどのギャップがあるように感じます。そういった新しい潮流に対して、しっかりと準備をしておかなければなりません。
東京オフィスに関しては、今後も「ラボ」というコンセプトを変えることはないと思います。新しいアイデアや面白そうな取り組みについては、これからもどんどんトライしていきたいですね。スタッフ一同が“モルモット”となっていろいろと試す立場でありながら、一方では全員がアイデアを提案する立場でもあります。そういった体験を通して、今後もお客様に価値のあるサービスを提供していければと思います。
Pick Up “ここが、ゲンスラーらしさ“
■クライアントとの結び付きを強くするオフィス
2014年に新設された5階は、一見するとワークプレイスとは思えないような空間になっている。2階のホワイトを基調とした空間とは対照的にブラックを基調とし、配管がむき出しになった天井や壁にあしらわれた鮮やかなグラフィックデザインが一際目を引く。このフロアにある多目的スペース「G5」は、業務上のミーティングなどに使用できるほか、マルチファンクショナルな空間として外部のクライアントを招いたワークショップやイベントの会場としても活用されている。ゲンスラーのデザインイメージを発信し、クライアントとのコミュニケーションを深めるツールとしてオフィスが戦略的に活用されている。
■チーム間の交流から生まれるケミストリー
東京オフィスでは毎月、チームごとに作業スペースの入れ替えを行っている。ワークプレイス部門、ライフスタイル部門などの中にある様々なチームを2階、5階のどの場所にアサインするかを決め、意図的にスタッフを動かしているという。分野が異なるチームをあえて並べることで、新たな発想や化学変化が生まれることもあるとか。また繁忙期にはスタッフのシェアがしやすいようにワークプレイス部門内の数チームを1カ所にまとめたり、柔軟にチームを配置している。オフィス内でこうした交流を図ることにより、より多様なアイデアを生み出す土壌を整えている。